沖縄 陶芸体験 漆喰シーサー作りしょっ
南部なちゅら店

長崎県 陶芸体験,学習,教室,漆喰シーサー作り,沖縄観光しょっ!

全国には数百箇所にも上る教室があります。教室のスタイルもいろいろ
ご自分にあった教室が見つかると思います。

全国の体験陶芸、教室一覧

長崎県 陶芸教室、体験

教室名   住所    電話番号
作陶倶楽部いざん 長崎県東彼杵郡波佐見町湯無田郷1348 0956-85-4196
ゆとり炉 長崎県長崎市賑町7-15-2F 095-825-8787  
森中陶芸教室 長崎県長崎市大浜町650-9 095-865-2559  
道の尾陶芸教室 長崎県西彼杵郡長与町高田郷314 095-856-4104  
平戸洸祥窯 長崎県佐世保市三川内町889 0956-30-8606  
中尾山伝習館・工房 長崎県東彼杵郡波佐見町中尾郷332 0956-85-6127  
陶芸教室有窯 長崎県長崎市油木町45-2 095-847-6288  
陶芸教室佐々皿山窯 長崎県北松浦郡佐々町鴨川免351 0956-62-6772  
伝習館 長崎県東彼杵郡波佐見町中尾郷157 0956-85-2273  
しかまち陶芸の家 長崎県北松浦郡鹿町町下歌ケ浦免8-8 0956-77-4920  
三彩の里 長崎県大村市原町802-1 0957-55-8833
佐々焼陶房山彦 長崎県北松浦郡佐々町皆瀬免74 0956-62-3085  
岐宿町陶芸の館 長崎県五島市岐宿町中嶽1258 0959-83-1916  
ガショウ(gashow)・saraku 長崎県長崎市鍛冶屋町5-90-1 095-820-8708
NBC学園陶芸 長崎県長崎市上町1-35 095-826-3111
現川焼土龍窯 長崎県長崎市現川町2980 095-837-0068
アートマンアトリエ 長崎県長崎市滑石4丁目5-16 095-856-1744

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●三川内焼
三川内焼(みかわちやき)は、平戸焼(ひらどやき)ともいう長崎県佐世保市で生産される陶磁器である。昭和53年(1978年)に経済産業大臣指定伝統的工芸品の認証を受けている(認証番号14-119)。現在14の窯元がある。天草陶石を用いた白磁に藍色で絵付けがされた物に代表される。
歴史
豊臣秀吉が起こした朝鮮の役の際、各地の大名は秀吉の命により、朝鮮の陶工を日本へと連れ帰った。平戸藩藩主である松浦鎮信(まつらしげのぶ)も多くの陶工を連れ帰った。慶長三年(1598年)に連れてこられた巨関(こせき)という陶工は、帰化して今村姓を名乗った後、平戸島中野村の中野窯で藩主の命により最初の窯入れをした。この中野焼が三川内焼の始まりといわれている。同じく朝鮮から来た陶工の高麗媼は中里茂左衛門のもとに嫁いだ後、元和8年(1622年)に三川内へ移住した。また、巨関は1622年ごろ、中野村に陶土がなくなったために陶土を求め息子の今村三之丞と共に藩内を転々とし、寛永14年(1637年)、最後に行き着いたのが三川内である。その後、慶安3年(1650年)に中野村の陶工が平戸藩により三川内に移された。
代表作品
唐子絵
唐の子どもたち(唐子(からこ))が唐扇を持ち、松の木の下で牡丹に飛ぶ蝶と戯れている様子が描かれている。当時は、描かれた唐子の人数によって用途が異なっており、7人唐子は将軍家や朝廷への献上品で献上唐子とよばれ、3人唐子は一般大衆用とされた。なお、三川内焼400周年の際にそれを記念して400人唐子の大皿が製作されており、三川内焼美術館で見ることができる。
透かし彫り
彫刻で、金属・木・石などの薄板を打ち抜いて模様をあらわす技法。また、その彫刻したもの。欄間の彫刻、刀剣の鍔(つば)などに見られる。その他色々な焼き物などで使われる技法として有名である。香炉や多宝塔などの作品がある。

●波佐見焼
波佐見焼(はさみやき)は長崎県東彼杵郡波佐見町で焼かれる磁器のことである。当初は青磁を生産していたが、やがて呉須で簡単な草花文などを描いた白地にくすんだ染付など、同県の三川内焼とは対照的に、江戸時代から大衆向けの食器を巨大な連房式登窯で多量に焼いてきた。著名な産地である有田の陰に隠れているが、当時から染付磁器の生産量は日本一であったといわれ、18世紀以降の江戸時代の遺跡から出土する磁器は、その大部分が波佐見焼であると推察される。
特に波佐見からヒットした商品に「くらわんか碗」と輸出向けの「コンプラ瓶」がある。なお、今日でも食器生産が盛んで、磁器製の茶碗や食器類のシェアは国内トップクラス。1990年代前半には、全国の生活雑器のシェアの1/4から1/3を占めたこともあるが、その後、中国・東南アジア製の陶磁器が流入したために収益が激減しており、2007年2月には統一ブランド「エレガント」を共同開発して巻き返しを図る。毎年4月上旬には中尾郷限定で「桜陶祭」、4月下旬から5月上旬に町内を挙げての「波佐見陶器祭り」が行われる。
歴史
波佐見焼は、大村藩主の大村喜前が文禄・慶長の役から帰国するときに、朝鮮陶工の李祐慶を連行し、彼が慶長3年(1598年)に村内に登り窯を築いたのが始まり。当初は釉薬を施した陶器を焼いていたが、良質の陶土を発見したことによって磁器生産が中心となった。その後、大衆向けが中心となった理由は、磁器の大量生産を奨励したことが大きい。
当初は三股郷の陶石を原料としていたため、青磁が主力であった。その後、砥石として広く流通していた天草の石が白磁原料に向いていることが判明し、大量に天草砥石を購入して町内全土で磁器生産を行えるようになった。
大衆向け陶磁器を志向したため、大量生産に特化している。中尾上登窯(現在は完全に廃棄撤去済み)の全長は160mを超える。これは国内どころか世界的に見ても最大級の窯である。
一方で、隣の有田・三川内との薪炭材をめぐる諍いも激しくなった。三藩が接する幕の頭(まくのとう)と呼ぶ山では、互いに領地を侵して薪を盗んでくることも日常的で、山の中で乱闘・殺し合いも起きる有様だった。結果、三藩の協議によって領地の見直し交渉が何度も実施されることになる。幕の頭山頂に立つ三角柱の「三領石(さんりょうせき)」は、薪をめぐる陶工たちの争奪戦からの産物である。
波佐見の代表的な民謡である「波佐見節」は、2枚一組、計4枚の小皿をカスタネット状に打ち鳴らして踊るものであるが、小中学校では現代風にアレンジしなおした「新波佐見節」が主流になっている。
主な作品
くらわんか碗
波佐見焼最大のヒット作と呼ばれる、簡単な草花文などの絵付を施した磁器。名は、淀川の京都・大坂間にある枚方宿で、商人が小舟で三十石船に近づいて「酒食らわんか餅食らわんか」と囃しながら食事などを売った「くらわんか舟」に由来する。ヒットした最大の理由は、磁器を初めて庶民の手に遍く普及させたためである。それまで磁器は赤絵染付など高価なイメージが強く、庶民にとって高嶺の花であったが、このくらわんか碗は磁器は高いという従来の常識を見事に覆し、庶民の食文化を一段と向上させた。なおこの縁で波佐見町と大阪府枚方市は市民交流都市宣言を行い、「くらわんか交流のまち」として住民の交流が行われている。
コンプラ瓶
簡素な染付白磁を用いた徳利型の容器。蘭瓶とも呼ばれ、専ら輸出用に作られた酒瓶である。中には酒や醤油を詰め込み、東インド会社を経由して遠くへ運ばれた。意匠は至って単純で、オランダ語で「日本の醤油」「日本の酒」と書かれているが、横文字の字体がデザイン化されている磁器は他に類を見ない。多くの歴史上人物に愛されたといわれる。
なお、花瓶と勘違いしてテレビ番組「開運!なんでも鑑定団」に出品した人がいる。鑑定人中島誠之助は正しい用途こそ解説したが、産地が波佐見であることには触れなかった。
ワレニッカ食器
主に給食事業に使用される強化磁器のルーツ。陶石にアルミナを混入し、一般の磁器の3倍の強度を持つ。落下の際に破片が飛散せず、破片処理が容易である。また変色しにくく、耐用年数が長い。名は「割れにくい」を意味する方言「割れにくか」から。1987年に町内小中学校の給食用食器として開発され、米飯給食の普及とともに県内外の学校・病院へ出荷された。全国の後発強化磁器メーカーの製品との競合が激しく、シェアは伸び悩んでいる。名称は「ハサミスクールウェア」を経て2000年より「セーフティわん」に改名。

●現川焼
現川焼(うつつがわやき)は長崎県にて焼かれている陶器。長崎市(旧現川村)で1692年(元禄5年)に焼かれたのが始まりで、命名は地名に因む。
現川焼は鉄分の多い茶褐色の器肌が特徴であり、多様多彩な刷毛目と加飾が施されている。江戸時代には「西の仁清」とまで謳われたことがあったものの、藩の財政面を理由に製造は約50年しか続かず、突如として現川焼は姿を消してしまった。しかし明治時代になり十二代目横石臥牛が復活させ、佐世保市などでも製造されるようになった。