沖縄 陶芸体験 漆喰シーサー作りしょっ
南部なちゅら店

石川県 陶芸体験,学習,教室,漆喰シーサー作り,沖縄観光しょっ!

全国には数百箇所にも上る教室があります。教室のスタイルもいろいろ
ご自分にあった教室が見つかると思います。

全国の体験陶芸、教室一覧

石川県 陶芸教室、体験

教室名   住所    電話番号
ローズイン 石川県河北郡内灘町字鶴ケ丘5丁目1-179 076-286-2379  
吉橋陶芸教室 石川県金沢市上荒屋4丁目20 076-249-2145  
遊工房 石川県金沢市泉野出町4丁目13-26 076-245-7222  
松本陶房 石川県金沢市西泉3丁目95 076-242-8878
(有)北陶 石川県金沢市本多町3丁目2-1 076-222-0077
風子窯・陶芸教室 石川県石川郡野々市町字二日市町73-1 076-294-7588  
ナチュラルズ自然人スタジオ 石川県小松市八幡ヘ4-4 0761-47-3751  
陶房眠兎 石川県鳳珠郡能登町字柳田ノ45 0768-76-1581
陶房長寿 石川県金沢市香林坊2丁目4-5 076-221-1822
陶工房 石川県金沢市三小牛町5-22 076-243-5527  
陶芸工房・一閑 石川県金沢市大野町6丁目2 076-268-0864
陶庵touan 石川県金沢市入江2丁目401 076-291-2533
珠洲市陶芸センター 石川県珠洲市蛸島町ミ1-1 0768-82-3221  
工房・未完成 石川県金沢市山の上町26-59 076-251-0300  
大樋・加賀楽研究会 石川県金沢市尾山町2-8 076-231-0306
陶工房・ギャラリー 海ノ空 石川県かほく市二ツ屋ナ11-3 076-282-5913

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●九谷焼
九谷焼(くたにやき)は、石川県南部の金沢市、小松市、加賀市、能美市で生産される色絵の磁器である。
歴史
古九谷
大聖寺藩領の九谷村(現在の石川県加賀市)で、良質の陶石が発見されたのを機に、藩士の後藤才次郎を有田へ技能の習得に赴かせ、帰藩後の明暦初期(1655年頃)、藩の殖産政策として、始められるが、約50年後(18世紀初頭頃)突然廃窯となる。窯跡は加賀市山中温泉九谷町にあり、1号窯、2号窯と呼ばれる、2つの連房式登窯と、19世紀に再興された吉田屋窯の跡が残っている。
「古九谷」と呼ばれる磁器は、青、緑、黄などの濃色を多用した華麗な色使いと大胆で斬新な図柄が特色で、様式から祥瑞手(しょんずいで)、五彩手、青手などに分類されている。祥瑞手は、赤の輪郭線を用い、赤、黄、緑などの明るい色調で文様を描いたもの。五彩手は黒の輪郭線を用い、青、黄、緑、紫などの濃色で文様を描いたものである。青手は、色使いは五彩手と似るが、素地の白磁の質がやや下がり、素地の欠点を隠すように、青、黄、緑、紫などの濃彩で余白なく塗りつぶした様式のものである。
これら「古九谷」と呼ばれる初期色絵作品群の産地については、戦前から1960年代にかけて「九谷ではなく佐賀県の有田で焼かれたものである」という説が主張されはじめた。有田の山辺田窯(やんべたがま)、楠木谷窯などの窯跡から古九谷と図柄の一致する染付や色絵の陶片が出土していること、石川県山中町の九谷古窯の出土陶片は古九谷とは作調の違うものであったことなどから、「古九谷は有田の初期色絵作品である」との説が有力となった。
東京都文京区本郷の大聖寺藩上屋敷跡(現・東京大学医学部附属病院敷地)からは大量の古九谷風の色絵磁器片が出土した。1987年以降、これらの磁器片の胎土を蛍光X線分析、放射化分析によって科学的に調査した結果、肥前産の磁器と九谷産の磁器が抽出された。その結果、伝世品の五彩手古九谷や青手古九谷と同様の磁器片は肥前産であると判断され、一方、分析結果から九谷産とみなされる磁器片は伝世の古九谷とは胎土、釉調、成形などの異なるものであると判断された。
以上のような窯跡の発掘調査や出土品の化学分析などの結果から、従来古九谷と位置づけられてきた一群の初期色絵磁器は、その大部分が1640 - 1650年代の肥前産と考えられている。しかし、1998年、九谷古窯にほど近い九谷A遺跡から、古九谷風の色絵陶片が発掘されたことから、「複数の産地で同一様式の磁器がつくられていた」可能性を探るべきだとの意見もある。
再興期
古九谷の廃窯から、約一世紀後の文化4年(1807年)に加賀藩が京都から青木木米を招き金沢の春日山(現在の金沢市山の上町)に春日山窯を開かせたのを皮切りに、数々の窯が加賀地方一帯に立った。これらの窯の製品を「再興九谷」という。 同じ頃、能美郡の花坂山(現在の小松市八幡)で、新たな陶石が発見され今日まで主要な採石場となった。これらの隆盛を受け、それまで陶磁器を他国から買い入れていた加賀藩では、文政2年(1819年)に磁器を、翌年に陶器を、それぞれ移入禁止にした。

●大樋焼
大樋焼(おおひやき)とは、石川県金沢市にある、340年余の伝統をもつ楽焼の脇窯である。赤黄色の飴釉が特色である。
概要
江戸時代初期の寛文6年(1666年)、加賀百万石、加賀藩5代藩主・前田綱紀が京都から茶堂として仙叟(裏千家4代千宗室)を招いた際に、楽家4代一入に師事し、最高弟であった陶工・土師長左衛門が同道した。それを契機に、稀有な茶の湯の道具として発展し、綱紀の強い意向もあり、加賀藩からの手厚い保護を受け、現在に至る。
仙叟が帰京する貞享3年(1686年)後も長左衛門は残り、河北郡大樋村(現、金沢市大樋町)に居を構え、窯を建てて藩の焼物御用を務め、加賀藩より地名から大樋姓を許された。
大樋焼の制作活動は明治維新後、藩の御庭焼から民間の窯元として生業を立てざるを得なくなったことや、明治期動乱の茶道の衰退と重なって苦難の時期を迎えるが、その後の門人達及びその子孫の制作活動の結果、飴色釉の特色ある稀有な焼物として全国的に知られるようになった。
金沢市橋場町に10代大樋長左衛門窯がある。

●珠洲焼
珠洲焼(すずやき)は、12世紀後半頃から15世紀末頃に石川県珠洲市付近で生産された、中世の日本を代表する陶磁器のひとつ。古墳時代から平安時代にかけて焼かれた須恵器の技法を受け継いでいた。
珠洲焼の復興
約400年前に忽然と姿を消した珠洲焼を1977年(昭和52年)珠洲市が復興した。